俳優、寺尾聰さん。
ベーシストであることでも有名です!
そんな寺尾聰さんは、結婚して嫁や子供がいるのでしょうか?
実家や家族構成、学歴、経歴など、くわしく調べてみました!
寺尾聰さんは、離婚歴があります。
1973年6月に「2丁目3番地」で共演した范文雀と結婚しましたが、1974年11月に離婚しています。
その後、1981年に再婚しました。
寺尾聰さんの嫁は、元女優の星野真弓さんです。
馴れ初めは、1979年にドラマ「西部警察」で共演したことがきっかけです。
星野真弓さんは結婚を機に芸能界を引退しました。
寺尾聰さんには、星野真弓さんとの間に子供が3人います。
1982年に女の子が生まれています。
その後、男の子が2人生まれましたが、詳細は不明です。
寺尾聰さんの実家は、神奈川県横浜市保土ケ谷区にあります。
寺尾聰さんの家族構成は、お父さん、お母さん、お姉さん2人の5人家族です。
お父さんは、俳優の宇野重吉さんです。
宇野重吉さんは、1988年1月9日に肺癌で亡くなっています。
お母さんは、元女優でダンサーの関志保子さんです。
とても綺麗で、宇野重吉さんが一目惚れしたそうですよ!
寺尾聰さんは、子供の頃からお父さんの影響で演劇に親しんできました。
また、野球をしていて、目黒区立第十中学校に進学後は野球部に所属していました。
法政大学第二高校に進学しましたが、不良で喧嘩をしていたので退学になっています。
翌年、和光高校に入学。
しかし、不真面目だったことで、2度留年しています。
警察に補導されたこともあり、その際にお父さんが迎えに来てくれたことで、真面目になろうと思ったそうです。
高校卒業後は、文化学院に進学。
1965年にフォーク・グループ「ザ・サベージ」に加入し、ベースを担当。
1966年に「いつまでもいつまでも」でレコードデビューしましたが、グループを脱退しました。
1968年には、「ザ・ホワイト・キックス」というグループ・サウンズに参加し、シングルを1枚出して解散。
同年、映画「黒部の太陽」で俳優デビューを果たしました。
これを機に石原軍団に所属し、ドラマにも出演し始めます。
1981年、34歳のときにリリースした「ルビーの指輪」が大ヒットし、「第23回日本レコード大賞」を受賞しています。
石原軍団退所後、1980年代後半から黒澤明監督の「乱」「夢」「まあだだよ」に出演。
2001年に、映画「雨あがる」で主演を務め、「日本アカデミー賞最優秀主演男優賞」を受賞しています。
また、音楽活動も続けており、2023年の「紅白歌合戦」では「ルビーの指環」を披露しました。
数々のドラマや映画に出演して活躍している寺尾聰さん。
今後の活躍にも期待ですね!
http://www.bubblelanguage.site/ishihara_yoshizumi_saikon/
http://www.bubblelanguage.site/tachi_hiroshi_kekkon/
http://www.bubblelanguage.site/shibata_kyohei_sick/