タレント、高田純次さん。
現在、結婚して嫁や子供がいるのでしょうか?
実家や家族構成、学歴、経歴など、くわしく調べてみました!
高田純次の基本プロフィール
- 名前: 高田純次(たかだ じゅんじ)
- 生年月日: 1947年1月21日
- 出身地: 東京都
- 身長: 175cm
- 血液型: O型
- 所属事務所: テイクワン・オフィス
高田純次は結婚している?
高田純次さんは、1973年に結婚しました。
高田純次の嫁は誰?
高田純次さんの妻は、一般人女性の勢子(せいこ)さんです。
勢子さんは、日本舞踊の師範として活動しています。
馴れ初めは、高田純次さんが劇団員時代に、勢子さんの舞踊公演を見て感動したことがきっかけです。
その後、高田純次さんから声をかけ、親しくなっていきました。
高田純次の子供は何人?
高田純次さんには、子供が2人います。
- 1976年 祐子さん:ファッションデザイナーとして活躍。
- 1981年 聡美さん:銅版画作家として活動。
高田純次の実家はどこ?
高田純次さんの実家は、東京都調布市国領町にあります。
高田純次の家族構成は?
高田純次さんの家族構成は、お父さん、お母さん、妹、弟の5人家族です。
父親は東京ガスで勤務していました。
母親は、高田純次さんが4歳のときに病気で亡くなっています。
その後、お父さんが再婚し、継母に育てられました。
しかし、高田純次さんと養子縁組をしていなかったため、お父さんと継母が亡くなった後、実家の土地(6000万円相当)の相続権がなく、妹と弟が相続したそうです。
高田純次の学歴、経歴は?
高田純次さんは、地元の調布市立第二小学校、調布市立第三中学校、東京都立府中高校卒業後、お父さんと同じ東京ガスへの就職や、弁護士になる道を志し、中央大学、明治大学、法政大学、青山学院大学といった有名私立大学を受験しますが、いずれも不合格となります。
その後1年間の浪人生活を送り、東京藝術大学、武蔵野美術大学、多摩美術大学、日本大学芸術学部などの美術大学や成城大学にも挑戦しますが、こちらも合格には至りませんでした。
最終的に進学したのが、東京デザイナー学院グラフィックデザイン科です。
絵を描くことやデザインに興味があり、この時期に美的感覚や表現力を養いました。
1971年、串田和美さんらが結成したアンダーグラウンド劇団「自由劇場」の舞台を観たことをきっかけに俳優を志し、同劇団に研究生として入団します。
しかし、「自由劇場」は1年で退団。
その後、イッセー尾形さんとともに劇団「うでくらべ」を結成しますが、こちらも約半年で解散してしまいます。
劇団活動だけでは生活が成り立たず、26歳のときに御徒町にあった宝石販売会社「トキモト」へ入社し、営業をしながら、ジュエリーデザイナーとしても働いていました。
その後、「自由劇場」時代の知人だった柄本明さんと新宿の居酒屋で偶然再会し、1977年に「劇団東京乾電池」へ入団します。
32歳のとき、「笑点」に出演。
その後、「笑ってる場合ですよ!」で初のテレビレギュラーを獲得し、徐々に知名度を上げていきます。
1985年にはドラマ「毎度おさわがせします」で俳優としても注目されるようになりました。
同年4月からは、ビートたけしさんの冠番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に1996年の番組終了まで11年間レギュラー出演。
さらに「オレたちひょうきん族」の「タケちゃんマン」シリーズでは、たけしさんとの掛け合いで強烈な印象を残しました。
1988年には中外製薬の栄養ドリンク「グロンサン」のCMに出演し、「5時から男」というキャッチコピーが社会現象に。
これにより新語・流行語大賞 流行語部門・大衆賞を受賞し、国民的タレントとしての地位を確立します。
1990年代以降は「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」「象印クイズ ヒントでピント」「どうぶつ奇想天外!」など、数多くのクイズ番組で活躍しました。
1994年からは中京テレビの情報番組「PS」の司会を務めました。
現在も「テキトー男」というキャラクターで親しまれながら、俳優、タレント、司会者として第一線で活躍を続けています。
高田純次まとめ
- 高田純次は1973年に結婚
- 嫁は日本舞踊の師範の女性
- 子供が2人いる
- 実家は東京都調布市国領町
- 東京デザイナー学院卒業
- 1971年「自由劇場」入団
- 1977年「劇団東京乾電池」入団
俳優、コメディアン、実業家、タレント、司会者など、マルチに活躍している高田純次さん。
今後の活躍にも期待ですね!



