人気脚本家、大石静さん。
NHK大河ドラマ「光る君へ」や「功名が辻」の脚本を務めたことで話題になりました!
そんな大石静さんの旦那は亡くなったのでしょうか?
死因は一体何だったのでしょう?
また、子供はいるのか、代表作など、くわしく調べてみました!
大石静の基本プロフィール
- 名前:大石静(おおいし しずか)
- 生年月日:1951年9月15日
- 出身地:東京都
大石静の旦那は亡くなった?
大石静さんは、1975年頃に舞台監督の高橋正篤さんと結婚しました。
馴れ初めは、舞台での出会いです。
大石静さんはもともと劇団「青年座研究所」に所属し、女優として活動していました。
その頃、舞台の制作現場で舞台監督として働いていた高橋正篤さんと出会い、仕事を通じて関係を深めていきました。
長年連れ添い、支え合ってきましたが、2022年12月、大石静さんがNHK大河ドラマ「光る君へ」の脚本を執筆中の時期に、高橋正篤さんは亡くなりました。
長年の伴侶を失った大石静さんですが、その後も脚本家として精力的に活動を続けています。
高橋正篤の死因は?
高橋正篤さんは、肺癌で亡くなりました。
2019年頃から体調が徐々に弱り、ある日呼吸不全を起こして入院したところ、肺癌が発見されました。
79歳という年齢も考慮し、治療は行わず在宅療養を選択したそうです。
大石静さんは、高橋正篤さんの介護をしながら脚本執筆を続けていました。
しかし、老老介護の中で執筆が止まってしまうこともあったといいます。
最期は容体が急変し、2022年12月、宣告されていた余命より3か月早く亡くなりました。
大石静の子供は何人?
大石静さんには、子供はいません。
できなかったわけではなく、作らなかったそうです。
私は結婚していますが、子供はいません。欲しかったけれどできなかった訳ではなく、意志を持って子供を持ちませんでした。少子化が問題化されている昨今、産まなかった女性へのまなざしは厳しくなりましたが、私は私の意志で選択した人生を後悔もしていませんし、他の人に的外れな同情をされたり、批判をされたりするのは不愉快です。
大石静の実家はどこ?
大石静さんの実家は、東京都千代田区神田猿楽町にあります。
大石静の家族構成は?
大石静さんの家族構成は、お父さん、お母さん、弟の4人家族です。
両親との関係は複雑で、幼少期に両親がよくケンカしているのを見ており、家庭内で居場所を見つけるのがむずかしかった時期もありました。
そして、大石静さんは幼少期、東京都駿河台にあった旅館「駿台荘」で育っており、その旅館の女将に養母として育てられました。
この旅館は、松本清張、開高健、五味康祐、五味川純平、高見順などの著名な作家や学者が滞在する「文人宿」として知られており、こうした環境で育ったことが、大石静さんの観察力や人間描写の豊かさにつながっています。
大石静の学歴、経歴は?
大石静さんは、幼少期、東京都駿河台にあった旅館「駿台荘」で育ち、養母が女将として家庭を支えていました。
日本女子大学文学部国文学科を卒業後、は女優を志して「青年座研究所」に入所しました。
24歳のときに甲状腺がんを発症し手術しましたが、27歳で再発するなど、何年か闘病生活を送っています。
その後、1981年に永井愛さんと劇団「二兎社」を設立。
二人で交互に女優と脚本を担当する活動を行いました。
1986年にTBSドラマ「水曜日の恋人たち~見合いの傾向と対策~」で本格的に脚本家デビュー。
1991年に俳優業を廃業し、脚本家業に専念するため「二兎社」を退団しました。
その後もオリジナル作品を中心に数多くのテレビドラマの脚本を手がけ、1996年のNHK朝ドラ「ふたりっ子」で「第15回向田邦子賞」と「第5回橋田賞」をダブル受賞!
2010年のNHKドラマ「セカンドバージン」は社会現象を巻き起こし、東京ドラマアウォード2011で連続ドラマ部門優秀賞および脚本賞、放送ウーマン賞2010を受賞しました。
2020年には脚本家としての功績により文化庁長官表彰、2021年には旭日小綬章を受章しています。
2017年には初のアニメーション作品「神撃のバハムート VIRGIN SOUL」の脚本を担当し、ファンタジー作品にも挑戦しました。
2024年にはNHK大河ドラマ「光る君へ」の脚本を担当。
人間の複雑さや多面性を描く脚本家としての作風を築き上げてきました。
大石静まとめ
- 大石静は1975年頃に結婚
- 旦那は舞台監督の高橋正篤
- 高橋正篤の死因は肺癌
- 子供はいない
- 実家は東京都千代田区神田猿楽町
- 日本女子大学卒業
- 甲状腺がんサバイバー
- 1981年に劇団「二兎社」設立
- 1986年脚本家デビュー
数々の名作を手掛けてきた大石静さん。
今後の活躍にも期待ですね!



