元宝塚歌劇団雪組トップスター、麻実れいさん。
現在、結婚して旦那や子供がいるのでしょうか?
実家や家族構成、学歴、経歴など、くわしく調べてみました!
麻実れいの基本プロフィール
- 名前: 麻実れい(あさみ れい)
- 本名:信元孝子(のぶもと たかこ)
- 生年月日: 1950年3月11日
- 出身地: 東京都
- 身長: 172cm
- 血液型: O型
- 所属事務所: 梅田芸術劇場所属
麻実れいは結婚している?
麻実れいさんは、1995年7月3日に結婚しました。
麻実れいの旦那は誰?
麻実れいさんの夫は、実業家の信元久隆さんです。
1歳年上で、「曙ブレーキ工業」の元会長兼社長、日本自動車部品工業会会長、在日フランス商工会議所副会頭などを務め、レジオン・ドヌール勲章オフィシエ、藍綬褒章を受章しています。
馴れ初めは不明です。
また、麻実れいさんは初婚ですが、信元久隆さんは死別したフランス人の前妻がおり、子供が2人います。
麻実れいの子供は何人?
麻実れいさんには、子供が2人います。
しかし、実子ではなく旦那の連れ子で、麻実れいさんは結婚後、その2人の息子の母親になりました。
その息子たちはすでに成人しており、麻実れいさんには孫もいるそうです。
麻実れいの実家はどこ?
麻実れいさんの実家は、東京都千代田区にあります。
麻実れいの家族構成は?
麻実れいさんの家族構成は、お父さん、お母さん、お姉さん2人の5人家族です。
父親は刀剣金具の職人で、刀剣金具製造業を経営していました。
私の実家は刀剣金具製造業を営んでいて、父はどうしても跡取りが欲しかったんですが、産まれてきた子が二人とも娘だったので、半ば諦めていました。ところが少し間を開ければ男の子が産まれるかもしれないということを真に受けて授かったのが私でした。産院で「男の子のような女の子です」と言われた途端、父は私の顔を見ずに帰ってしまったために、母は病室で泣き明かしたそうです。父は名付けをする気力もなかったらしく、私の名前は神田明神の宮司さんにお願いして、親孝行するようにという意味から「孝子」と名付けていただきました。
お姉さん2人とは年が離れており、宝塚歌劇団が好きでした。
お姉さんに「宝塚を受けてみたら?」と勧められたことがきっかけで、宝塚への道に進むことになったそうです。
麻実れいの学歴、経歴は?
麻実れいさんは、幼稚園の頃からバレエを習っていました。
東京家政学院高校に進学。
宝塚ファンだったお姉さんたちの勧めで、高校3年生のときに「宝塚音楽学校」を受験し、合格しました。
1968年に宝塚音楽学校に入学し、1970年に56期生として「宝塚歌劇団」へ入団。
同期には萬あきらさん、条はるきさん、小柳ルミ子さんがいます。
初舞台は雪組公演「四季の踊り絵巻/ハロー!タカラヅカ」です。
翌年には星組へ配属され、1972年に「花の若武者」の新人公演で鬼若役として主役に抜擢。
入団3年目での主演は当時の新記録で、男役スターとして一気に注目度が上昇しました。
同年には雪組へ組替えとなりました。
1975年には「ベルサイユのばら-アンドレとオスカル-」でアンドレ役に抜擢され、話題に。
1978年には「風と共に去りぬ」でレット・バトラー役を演じ、1980年にはついに雪組トップスターに就任!
お披露目公演は「花の舞拍子/青き薔薇の軍神-アンジェリクII-」で、相手役は遥くららさんでした。
1983年には「うたかたの恋」で念願だったルドルフ皇太子役を熱演。
1985年4月30日、「花夢幻/はばたけ黄金の翼よ」の東京公演千秋楽で、宝塚を退団しました。
宝塚退団直後の1985年8月12日、偶然の判断で日本航空123便の墜落事故を免れたというエピソードは、ファンからは奇跡のように語られています。
退団後は舞台女優として活動し、1995年には「ハムレット」で10年ぶりに男役を演じ、その圧倒的な存在感で読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞。
2011年には「黒蜥蜴」で再び同賞を受賞するなど、高い評価を得ています。
また、映画では2001年「十五才 -学校IV-」に出演し、日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。
その後も、2006年に紫綬褒章、2020年に旭日小綬章、そして、2023年に日本芸術院会員に就任しました。
麻実れいまとめ
- 麻実れいは1995年7月3日に結婚
- 旦那は実業家の信元久隆さん
- 子供が2人いて孫もいる
- 実家は東京都千代田区
- 東京家政学院高校卒業
- 1970年「宝塚歌劇団」入団
- 1980年雪組トップスターに就任
- 1985年4月30日宝塚退団
数々の舞台に出演して活躍している麻実れいさん。
今後の活躍にも期待ですね!



