投資家、桐谷広人さん。
現在、結婚して嫁や子供がいるのでしょうか?
実家や家族構成、学歴、経歴など、くわしく調べてみました!
桐谷広人の基本プロフィール
- 名前: 桐谷広人(きりたに ひろと)
- 生年月日: 1949年10月15日
- 出身地: 広島県
- 身長: 164.1cm
- 血液型: A型
- 所属事務所: なし
桐谷広人は結婚して嫁や子供がいる?
桐谷広人さんは、2025年10月現在、結婚しておらず、嫁や子供はいません。
結婚相談所に登録していたこともあり、結婚願望はあるようです。
桐谷広人の彼女は誰?
桐谷広人さんは、熱愛報道や匂わせがなく、現在彼女がいるのかは不明です。
桐谷広人の実家はどこ?
桐谷広人さんの実家は、広島県竹原市にあります。
実家は、紙箱製造業を経営していました。
桐谷広人の家族構成は?
桐谷広人さんの家族構成は、お父さん、お母さん、妹3人の6人家族です。
- 父親:紙箱製造業を営んでいた
- 母親:専業主婦
- 妹:淑子さん(社会保険労務士)
- 妹:優子さん(主婦)
- 妹:未希さん(獣医)
桐谷広人の学歴、経歴は?
桐谷広人さんは、将棋棋士として知られる一方で、現在は「株主優待生活」を送る個人投資家としても広く知られています。
子供の頃から将棋が大好きで、地元の友人たちと駒を動かして遊ぶうちにその奥深さに魅了されました。
広島県立竹原高校卒業後は「本格的に将棋の道に進みたい」と思い、上京して升田幸三実力制第四代名人の門下に入門します。
1975年、四段に昇段し、正式にプロ棋士としてデビュー!
棋士番号は120番です。
当時は研究熱心な棋士として知られ、「コンピューター桐谷」と呼ばれるほど理論的で緻密な将棋を指していました。
棋風は居飛車党の受け将棋で、相手の攻め駒を的確に攻め返し、駒得を重視するスタイル。
優勢になっても慎重に対応し続けるその姿勢から、「桐谷マッサージ戦術」とも呼ばれました。
また、入玉(相手陣に自玉を進める戦法)を得意とする棋士としても有名です。
1975年に四段昇段、1982年に五段、1990年に六段、2005年に七段へ昇段。
1996年度の第9期竜王戦では5組に昇級するなど、堅実な実績を積み重ねました。
2000年には現役勤続25年表彰を受け、長年の功績を称えられています。
一方、第55期順位戦でフリークラスに陥落し、その後10年間昇級を果たせなかったため、2007年3月末をもって現役を引退しました。
通算成績は327勝483敗です。
なお、引退後も公益社団法人日本将棋連盟には所属を続けており、正式な肩書きは「引退棋士」です。
そして2025年4月1日、引退棋士昇段規定により八段に昇段しました。
また、観戦記の執筆や、囲碁・将棋チャンネルの「桐谷広人の将棋講座」「名勝負の解説」などにも出演し、師匠・升田幸三の対局をわかりやすく解説するなど、将棋文化の発展にも貢献しています。
棋士としての活動を続ける一方で、1984年頃に東京証券協和会に設置された将棋部の師範を務めていた際、偶然のきっかけで株式投資の世界に出会いました。
そこから独学で投資を学び始め、将棋で培った分析力と記憶力を武器に、次第に成果を上げていきます。
1990年代には「財テク棋士」として注目され、雑誌『ダイヤモンドZAi』や『日経マネー』にも登場。
2006年時点では約400銘柄、時価3億円分の株を保有し、そのうち1億円分は株主優待銘柄でした。
桐谷さんは株主優待を徹底的に活用し、食事券や商品券で生活のほとんどをまかなうという独自のライフスタイルを築き上げました。
現金を使うのは「家賃・光熱費・インターネット代」程度で、これらも株の配当金で賄うほどです。
2008年のリーマンショックでは大きな損失を受け、2013年時点で資産は約5000万円にまで減少しましたが、それでも「株主優待を使えば生活できる」という考えに転換し、以降は優待重視の投資法を確立します。
2012年には『カンニング竹山の銭ナール』に個人投資家として出演し、注目を集めました。
その後、『笑っていいとも!』『月曜から夜ふかし』など数多くのテレビ番組に登場し、独特のキャラクターと優待生活の様子が話題になりました。
このように、桐谷広人さんは将棋棋士としての確かな実績に加え、投資家・メディア出演者としても多彩な活動を続けています。
桐谷広人まとめ
- 桐谷広人は独身
- 彼女がいるのかは不明
- 実家は広島県竹原市
- 広島県立竹原高校卒業
- 1975年プロ棋士デビュー
- 2007年3月末現役引退
- 1984年頃から株式投資を始めた
自転車で移動する姿が印象的な桐谷広人さん。
今後の活躍にも期待ですね!


