元プロボクサー、具志堅用高さん。
現在、結婚して嫁や子供がいるのでしょうか?
実家や家族構成、学歴、経歴など、くわしく調べてみました!
具志堅用高の基本プロフィール
- 名前: 具志堅用高(ぐしけん ようこう)
- 生年月日: 1955年6月26日
- 出身地: 沖縄県
- 身長: 162cm
- 血液型: A型
- 特技:パワーボード
- 趣味:ゴルフ、ヨット、スキー
- 所属事務所: 太田プロダクション
具志堅用高は結婚している?
具志堅用高さんは、1980年6月に結婚しました。
具志堅用高の嫁は誰?
具志堅用高さんの妻は、一般人女性の滝田香澄さんです。
馴れ初めは、1979年に協栄ジムの金平正紀会長と香澄さんのお父さんが知り合いだったことで、お見合いのように紹介されたことがきっかけです。
具志堅用高の子供は何人?
具志堅用高さんには、子供が2人います。
1982年に女の子、1983年に男の子が生まれています。
子供は2人とも結婚しており、具志堅用高さんには孫が4人います!
具志堅用高の実家はどこ?
具志堅用高さんの実家は、沖縄県石垣市にあります。
実家は、旧琉球王国時代の士族「允氏具志堅家」の家系です。
具志堅用高の家族構成は?
具志堅用高さんの家族構成は、お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、弟の6人家族です。
お父さんは元漁師で、第二次世界大戦後に石垣島に引っ越してきました。
石垣島に「具志堅用高記念館」を建て、館長を務めていました。
2019年9月8日に亡くなっています。
お姉さんが「具志堅用高記念館」の経営を引き継ぎました。
お兄さんは、八重山観光フェリーの操縦士です。
具志堅用高の学歴、経歴は?
具志堅用高さんは、地元の石垣市立石垣小学校、石垣市立石垣中学校に通っていました。
中学校時代は、野球部に所属して活躍していました。
中学卒業後は、興南高校に進学。
高校入学後も野球部に入ろうとしましたが、身長制限により断念。
その後、ボクシング部に入部し、上原康恒選手の実父や地元指導者のもとで才能が開花!
高校3年生のときには、モスキート級でインターハイ優勝を果たしました。
高校卒業後は、「協栄ジム」にスカウトされ上京。
上京後は生活費を稼ぐためにとんかつ屋でアルバイトをしながら、ボクシング漬けの日々を送りました。
1974年5月、牧公一選手との試合でプロデビュー!
1976年1月、セサール・ゴメス・キー選手との世界挑戦者決定戦で7回KO勝利。
10月にはWBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマン選手に挑戦し、9戦目で王座を奪取。
その後も強敵を次々と撃破し、1977年から1981年にかけて13度の防衛に成功。
1979年から1980年にかけては、6連続KO防衛という快挙を達成し、世界中から評価されました。
1981年3月、地元・沖縄での防衛戦でペドロ・フローレス選手に敗れ、王座陥落。
この試合を最後に現役を引退しました。
引退後は、ボクシング解説者として活躍しつつ、1995年には「白井・具志堅スポーツジム」を開設。
2010年からは太田プロダクションに所属し、「クイズ!ヘキサゴンII」などのバラエティ番組に出演し、大ブレイク!
2014年には国際ボクシング名誉の殿堂入りを果たし、2015年には「イクメン・オブ・ザ・イヤー」のスポーツ部門も受賞しています。
具志堅用高まとめ
- 具志堅用高は1980年6月に結婚
- 嫁は一般人女性
- 子供が2人いる
- 実家は沖縄県石垣市
- 旧琉球王国時代の士族「允氏具志堅家」の家系
- 興南高校卒業
- 1974年5月プロデビュー
- 2014年国際ボクシング名誉の殿堂入り
天然キャラでタレントとしても活躍している具志堅用高さん。
今後の活躍にも期待ですね!


